道標によるへんろ道

空海が高野山へ入定後、その偉大なスーパースターの足跡を慕い、数多くの僧侶や信者が四国を訪れました。
そして江戸時代初期には「四国遍路」という言葉と概念が成立したとされ、17世紀には真念法師によって「四国遍路道指南」(みちしるべ)というガイドブックが出され、それまで主に僧侶等の修行の地であった四国に、さらに多くの一般信者が訪れるようになりました。
その頃から、真念法師はじめ篤志家達の手によって、巡拝者が道に迷わないようにと、手の形の矢印で順路を示した遍路道の石柱、いわゆる『道標』が設置され始めたと言われています。
近年では、年間30万人とも言われる人々が八十八箇所を巡拝し、その内道標を頼りに歩いて巡拝する『歩き遍路』と呼ばれる人は5000人とも言われています。

昔と比べ現在では道路補修や車での巡拝により、へんろ道も大きく変わってきました。
そうしたことから、今日では巡拝で通らない道や通れなくなった道もたくさんあります。
そこで、道標を頼りに、総延長1200キロとも1500キロとも言われるへんろ道をたどり、ご紹介したいと思います。

なお、江戸中期以降は、阪神からの巡拝者は、徳島県の岡崎に上陸し撫養街道を通って一番霊場の霊山寺に向かう遍路が多かった事から、へんろ道の出発点を「徳島県:岡崎のみなと」としました。


《おことわり》
四国四県の遍路道を、各県ごとに「その1」・「その2」・・・と分割し、さらにそれを複数ページに分け、1/2万5千の詳細な地図にて紹介しておりますが、ここでは、いくつもあると言われるルートの内、現在存在する代表的なルートを紹介させていただいております。
なお、新規判明分は、随時追加掲載します。
 徳島・・・その1〜その5 (完成)
 高知・・・その1〜その6 (完成)
 愛媛・・・その1〜その8 (完成)
 香川・・・その1〜その5 (完成)

 四国四県のへんろ道へ


なお、各地図の ボタンで、Yahoo地図にリンクしておりますので、地図の移動・縮小・拡大が自由に行えます。また航空写真もご覧いただけます。



へんろ道の出発点 岡崎みなとの夜明け 足摺岬 白山洞門
阿波の道標によるへんろ道(その1〜その5) 土佐の道標によるへんろ道(その1〜その6)
伊予の道標によるへんろ道(その1〜その8) 讃岐の道標によるへんろ道(その1〜その5)
経ケ森より望む 伊予灘に沈む夕日 有明浜の銭形砂絵 寛永通宝
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