般 若 心 経

「般若心経」は、正式には「摩訶般若波羅蜜多心経(まかはんにゃはらみったしんぎょう)」といい、「大般若経(だいはんにゃきょう)」600巻を集約したもので、日本では仏教各派、特に真言宗・法相宗・天台宗・禅宗が般若心経を使用し、その宗派独特の解釈を行っている。ただし、浄土真宗は『浄土三部経』を、日蓮宗・法華宗は『妙法蓮華経(法華経)』を根本経典としているため、般若心経を唱えることはない。これは当該宗派の教義上、用いる必要がないということであり、般若心経を否定しているのではない。

 サンスクリット語(梵語)で書かれた般若心経の原本は、現在インドにも中国にも東南アジアにもなく、唯一、日本の法隆寺にその写本が残っている。《最古の梵字写本『梵本心経および尊勝陀羅尼』(法隆寺貝葉経)》

 漢訳は7種類あるといわれ、その中で玄奘(げんじょう)の訳がもっともよく読まれている。これは漢字でわずか267字であり、大乗仏教の経典の中でもっとも短いので、多くの宗派が用いてきた。日本でも「お経の中のお経」「天下第一のお経」としてもっとも親しまれている。四国八十八カ所の遍路や西国三十三カ所の巡礼たちも、必ずこの経をとなえている。

 「般若」とは、サンスクリットのprajnaの音をうつした語であり、あらゆる存在をあるがままに、しかも全体的に把握する知恵を意味している。「波羅蜜(はらみつ)」とは悟りにいたることである。

 この経典は、現象界にはかかわるべきなにものもない、すなわち「空」であることを知る知恵について説いている。文中に「空」「不」「無」がくり返し出てくのはそのためである。しかし、「空」の概念は、「因縁」と並んで仏教の教えの主要なポイントであるにもかかわらず、「公開せる秘密」と言われるほど分かりづらく理解が困難である。「色即是空、空即是色」(現象や事物には、かかわるべきなにものもないし、それがまた、現象の世界でもある)という言葉は、「空」をなんとなくわかるように表現したのものとして親しまれている。

 なお、文中に「舎利子(しゃりし)」という言葉が二度出てくるが、これはシャカの十大弟子の中で目蓮(もくれん)と並びトップに位置していた舎利弗(しゃりほつ:シャーリプトラ)のことである。舎利弗は、智慧第一と言われてシャカの信頼も厚く、シャカの一人息子ラゴラの家庭教師役を任じられている。般若心経は、「舎利弗よ」と、シャカが弟子に語りかける形式をとっている。






解   説
観自在菩薩 かんじーざいぼーさつ 観音菩薩は
行深般若波羅蜜多時 ぎょうじんはんにゃーはーらーみーたーじー 智慧を完成するための行いを深く実践していた時
照見五蘊皆空 しょうけんごーうんかいくう 存在するものの五つの構成要素はすべて実体がないと見抜き
度一切苦厄 どーいっさいくーやく 一切の苦しみやわざわいを取り除いた
舎利子 しゃーりーしー シャーリプトラよ
色不異空 しきふーいーくう 形あるものは実体なきものに異ならず
空不異色 くうふーいーしき 実体なきものは形あるものに異ならない
色即是空 しきそくぜーくう 形あるものはすなわち実体なきものであり
空即是色 くうそくぜーしき 実体なきものはすなわち形あるものである
受想行識 じゅーそうぎょうしき 感覚も、概念も、意志も、認識も
亦復如是 やくふーにょーぜー また同様に実体がない
舎利子 しゃーりーしー シャーリプトラよ
是諸法空相 ぜしょーほうくうしょう この世のすべてのものには実体がないという性質がある
不生不滅 ふーしょうふーめつ 生ずることもなく、滅することもなく
不垢不浄 ふーくうふーじょう 汚れることもなく、汚れなきものでもなく
不増不減 ふーぞうふーげん 増えることもなく、減ることもない
是故空中無色 ぜーこーくうちゅうむーしき それゆえ、実体がないという中においては、形はなく
無受想行識 むーじゅーそうぎょうしき 感覚も、概念も、意志も、認識もない
無眼耳鼻舌身意 むーげんにーびーぜっしんにー 眼も、耳も、鼻も、舌も、身体も、意識もなく
無色声香味触法 むーしきしょうこうみーそくほう 形も、音も、匂いも、味も、触覚も、法則もない
無眼界乃至無意識界 むーげんかいないしーむーいーしきかい 眼に映る世界もなく、精神の世界もない
無無明 むーむーみょう 迷いもなく
亦無無明尽 やくむーむーみょうじん 迷いがなくなることもない
乃至無老死 ないしーむーろうしー 老いや死もなく
亦無老死尽 やくむーろうしーじん 老いや死がなくなることもない
無苦集滅道 むーくーしゅうめつどう 苦しみも、苦しみの原因も、苦しみをなくすことも、悟りへの道もない
無智亦無得 むーちーやくむーとく 知ることもなく、何かを得ることもない
以無所得故 いーむーしょーとくこー 何も得るものがないからこそ
菩提薩捶 ぼーだいさったー 悟りに至る者は
依般若波羅蜜多故 えーはんにゃーはーらーみーたーこー 智慧を完成しているがゆえに
心無圭礙 しんむーけいげー 心にとらわれるものがない
無圭礙故 むーけいげーこー 心にとらわれるものがないがゆえに
無有恐怖 むーうーくーふー 恐怖におののくこともなく
遠離一切顛倒夢想 おんりーいっさいてんどうむーそう 一切のとうさく倒錯した想いから遠く離れ
究竟涅槃 くーぎょうねーはん 究極の平安の境地に入っているのである
三世諸仏 さんぜーしょーぶつ 三世(過去、現在、未来)の仏(悟りの境地に至る人)は
依般若波羅蜜多故 えーはんにゃーはーらーみーたーこー 智慧を完成しているがゆえに
得阿耨多羅三藐三菩堤 とくあーのくたーらーさんみゃくさんぼーだい この上もなく正しい悟りの境地に到達するのである
故知般若波羅蜜多 こーちーはんにゃーはーらーみーたー そして知るがよい、智慧の完成とは
是大神呪 ぜーだいじんしゅー 大いなる神聖な言葉であり
是大明呪 ぜーだいみょうしゅー 大いなる悟りの言葉であり
是無上呪 ぜーむーじょうしゅう 無上の言葉であり
是無等等呪 ぜーむーとうどうしゅー 無比なる言葉であり
能除一切苦 のうじょーいっさいくー すべての苦しみとわざわいを取り除く
真実不虚故 しんじつふーこーこー 偽りなき真実であることを
説般若波羅蜜多呪 せつはんにゃーはーらーみーたーしゅー その言葉は智慧の完成の境地において、このように説かれた
即説呪曰 そくせつしゅーわつ すなわち
羯諦 ぎゃーてー 行きて
羯諦 ぎゃーてー 行きて
波羅羯諦 はーらーぎゃーてー 悟りの彼岸に行きて
波羅僧羯諦 はらそーぎゃーてー 悟りの極みに行きて
菩提薩婆訶 ぼーじーそわかー 悟りよ幸あれ
般若心経 はんにゃしんぎょう ここに、智慧の完成に至る者の心を終える


太田竜一氏の文献を引用させていただきました

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